東福寺について
こないだ撮影に行った東福寺について、ちょっと調べてみました。
東福寺の名前の由来は、奈良の東大寺と、興福寺から一字をとって、東福寺にしたんやそうどす。
仏教寺院としては、奈良のが歴史があったから…どすやろな。
まぁ、歴史では奈良にはかないまへんわな。
創建は鎌倉時代どすけど、もともとは平安時代に藤原氏が建てた法性寺の大伽藍があったとこに、九条道家はんゆうお公家はんが建てたんやそうどす。
調べみると、この九条道家はんゆうのが、なかなか興味深いんどすわ。
まるで藤原道長みたいな人なんどすわ。
そもそも、九条家は藤原家の流れをくむ、五摂家で、藤原北家の嫡流どす。
五摂家ゆうのは、摂政になれる家で、やっぱり藤原さんなんどすが…。
この九条道家の息子の、教実、良実、実経が摂関となり、それぞれ、九条家、二条家、一条家を立てて、五摂家が成立したんだそうどす。
一条や二条ゆうんは、住んでた地名でつけられたんやそうどす。
あれ?五やゆうのに三家やん?
この三家に加えて、近衛家、鷹司家で五摂家なんだそうどす。
この五家からじゅんぐりに摂政になっていかはるんどすけども。
九条道家はんは、息子はんを摂政にしただけやのうて、将軍にもしたはるんどす。
鎌倉幕府の四代将軍が九条家から出てはるんどすわ。
は〜知りまへんどしたわ。
ぼく、鎌倉幕府は源はんが途絶えてから、執権の北条氏が牛耳ったはって、将軍なんかおらんのかと思とりました。
道家はんも、摂政になったはりますし、息子が将軍やなんて、そらすごい権力やったんどすやろな。
出世したんは、お姉はんを天皇に嫁がせて、その子を天皇にして、天皇の外戚になるゆう道長方式どすわ。
ほんでお母はんが、源頼朝の姪なんだそうどす。
天皇家と幕府とも親戚とは!
怖いもんなしやったんどすやろなぁ。
せやさかい、こないに立派なお寺が建てられたんどすやろなぁ。
そないなことに思いを馳せながら、紅葉を見るんも、また、オツなもんどすなぁ。
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