神護寺の話
こんばんは。ユウどす。
今日は、こないだ撮影に行ってきた神護寺について書きますぅ。
神護寺も、紅葉の名所として有名どすな。
神護寺は、 京都の山奥・高雄ゆうとこにあります。
なんでも、高野山真言宗の遺跡(ゆいせき)寺院だそうで…。
ゆいせきじいんって、なんどすのん?思うて調べてみたら…。
遺跡(ゆいせき)本山ともいうそうで…高野山真言宗には、総本山、大本山、遺跡本山、別格本山…などなど、ってなんぼ ほど 本山がありまんのや!
ゆいせきゆうのは、遺跡と書いて字のごとく、遺跡と同じ意味だそうどすわ。
つわり、古いお寺なんどす。
創建は、天長元年(824年)、開基は和気清麻呂はん。
真言宗の宗祖は空海はんどすけど、天長元年ゆうたら、空海はんがまだ生きたはる時で、空海はんもこの神護寺に住んだことがあるそうどすし…、なんか本山てつけときたくはなりますわな。
開基の和気清麻呂はんゆうたら、流罪にされたゆうことで有名な方どすな。
称徳天皇ゆう女帝が、お気に入りの道鏡ゆうお坊さんを次の天皇にせよゆう八幡神のお告げがあったゆうて、その真偽を宇佐八幡宮まで聞きにいったんが和気清麻呂はん。
そんなん宇佐本家の神さんはちゃいますゆうてますって奏上して、女帝を怒らさはって、お姉さんの広虫さんともども流罪になった気の毒な人ゆう印象ありましたけど。
この神護寺は、流罪から帰ってきてから建てはったみたいやし、まぁ、流罪もちゃらになるくらいその後は高い地位につかはったようで…。
和気清麻呂はんもお姉はんの広虫はんも、今や神さんに祀られとるくらいなんどす。
それが、足腰の神さんやとか、猪やらで知られとる護王神社どすわ。
護王神社は、もともとは神護寺の中に祀られとったそうどす。
護王神社については、また、改めて 書こう思うとりますぅ。
まぁ、つれづれで…。
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