やすらい祭りのこと
こんばんは。ユウどす。
4月8日は、マナちゃんとこの氏神・玄武神社はんで「やすらい祭り」がおました。
氏神はんゆうのは、平たくゆうたら、住んだはるとこの守り神どすな。
このやすらい祭りは、桜の花の散る頃、4月の第2日曜日に執り行われます。
なんでも、平安の昔、桜の散り始める頃に疫病が流行したんやそうどす。
せやから昔の人は、桜が散る→花びらと一緒に悪霊も蔓延するゆう印象をもたはったんどすやろなぁ。
花にも、花の霊が宿る思うたはったから、花の霊が悪さして疫病が流行るって思わはったんかもしれまへん。
せやし、花の霊をしずめて、無病息災を願う祭りをしはったんどす。
やすらい祭りが別名鎮花祭いわれるんは、そのためどす。
やすらい祭りみたいなんを、風流の祭りゆうんどすけど、風流は“ふうりゅう”やのうて、“ふりゅう”って読むんどす。
風流傘ゆわれる、花で飾った傘をさして練り歩くお祭りを風流の祭りゆうそうどすが、このスタイルの祭りは歴史が古いんどす。
京都のやすらい祭りは、平安時代からやっとるそうどす。
その中でも古いんは、どうやら玄武はんみたいどすなぁ。
玄武はんとこの資料をみたら、こないなことが書いとりました…。
なんでも、江戸時代に玄武はんのある雲林院村で大火災が発生して、祭りが行えへんようになったんやそうどす。
そん時にとなり村の上野村(今の今宮神社の氏子圏)に5年の約束でお祭りの道具一式を貸して、お祭りの指導もして、お祭りを継続しはったそうなんどすが…、
雲林院村が復興した後も、お道具が返してもらえへんかったそうで…。
玄武神社では明治15年にお道具を新調して、ようやくお祭りを復活させることが出来たんやそうどす。
新調するまでの間、200年くらいあるんやけど…。
まぁ、そういうことなんだそうどす。
いやー、でもそうゆうなん読むと、上野村ではどうゆう風に語りつがれてるんかが気になるとこどすなぁ。
ちなみに、こちらが今宮はんとこのやすらい祭りどす。
やすらい祭りは、玄武神社、今宮神社の他には、川上大神宮と、上賀茂神社でも行われとりまして、それぞれで囃子言葉や踊りかたが違うんやそうどす。
開催時期は上賀茂神社だけ別で、葵祭りんときにしたはります。
こちらが上賀茂のやすらい祭りどす。
この時期にやると暑そうどすな…。
5月やと、なんの花をしずめるんどすやろか?
傘には藤が見えますなぁ。
ここも本来は桜の散る頃にやってはったんやそうどす。
それを変えてしもうたら、本来の意味がよう分からんようになるんで、意味があんまりあらしまへんけど…。
とはいえ、今は保存するんが大切なんどす。
やすらい祭りは4ヶ所ともに、やすらい踊保存会のみなはんが伝承したはります。
ぼくはずっと続けていってほしい思とりますんで、みなはんも、きばって応援しとくれやす。
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