2019-06-06
平等院の話 その2
平等院が出来た頃の日本は、末法の世。
世が荒れると、財政が混乱しますわな。
末法とはいえ、この世を生きるためには財政確保は必須。
当時の公家の財政ゆうたら、主には荘園経営。
藤原家もしかり。
もともと道長の別荘のある宇治にも、別荘領の荘園があったわけです。
荘園ゆうとこには、ふつうは税金が課せられとります。
ところが、その別荘をお寺に建て替えて、お寺の領地にした時に、頼通はんは当時の帝に「税金は免除してよ」とお願いしはったんどす。
別荘をお寺にしはったんは、税金対策=財政確保の意味もあったんちゃうやろか?
ゆうことを考えたら、現世利益的にみえてきてしまいます。
あの世やのうて、この世でもしっかり極楽を味わってそうな勢いどす。
この宇治ゆうとこは、水路の要衝なんどす。
近江の琵琶湖から流れ出た瀬田川は、宇治で宇治川、大阪で淀川になるんどす。
当時、大きなもんを運ぶんは、陸路やのうて、水路。
この宇治で荘園をもつゆうのは、近江から大阪までの物流拠点をもつゆうことなんどす。
頼通はんは道長はんの遺産を整理しながら、その周辺の利権も握りつつ、節税もしていったゆうことどすな。
いやぁ、藤原氏は目の付け所がシャープどすわ。
それが、現代まで続く家系の力なんかもしれまへんなぁ。
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